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ちなみに孫文と南方熊楠の友情はかなり深い仲だった様で金欠状態で和歌山から出られない熊楠のためにわざわざ和歌山まで会いに行ったり…熊楠の著書や論文を世界中の著名人や学者に配ったり…外遊先で自ら珍しい植物や粘菌を採取して標本にして熊楠にプレゼントしたり…極めつけが革命成功後は熊楠のために広州に世界一の規模の動植物園と研究施設と博物館を建設しようと本気で計画しているレベルだったとのこと…
このタイミングで孫文を解説するとは、UP主さんもやるなぁ
清朝が孫文に手出しできなかったホントの理由はロンドンでの一件に懲りた孫文がアメリカ国籍を取得してアメリカ人になっていたからというのがホントの事情だったらしい…だからほかの活動家たちが常に身の危険にさらされていたのに孫文だけはいつも安全で極論を言えば堂々と帰国して国内で活動してもアメリカ人である孫文に清朝政府は指一本手出しが出来ない状態だったそうです。でもこのことが革命派内での対立の原因にもなっていたそうですが。
実に素晴らしい動画袁世凱が皇帝になった経緯が漸く理解できた孫文の粘り強さは見習いたいものだ
この時代の話は詳しくは浅田次郎さん著の「中原の虹」、「天子蒙塵」に描かれていますので個人的にも一読をオススメ致します🙂
孫文の傷の大なるは、共産革命と易姓革命を同じ「革命」と一括りにし、中国史の易姓革命と同じようなものなので扱いきれると高を括って国共合作を受け入れてしまったことにある。
いくらキリスト教に改宗しようと、最新の学問や思想に触れ、民主共和制を目指そうとも、結局は孫文も根底にあったのは中華思想なんだよね。
@@nuruosan4398 全く同感。
以前住んでいた団地に隣接する公園に、「孫文先生上陸の地」の石碑があった。孫文先生とはどんな人なのか、解らないままでいたが、やっと少し分かった気がする。
大河ドラマ「青天を衝け」でも、孫文がチョイ役で出てました。渋沢栄一と交流があったようです。
世界史なのだろうか、日本と孫文の関係がさらりと流されているのは悲しい事だ。特に孫文の名前を知っていても実業家 梅屋庄吉の名前が一言も出ないのは可哀そうな事だ。外国人の私でも名前を忘れたことは無い。歳を取って名前が出なくなった人物はいるが、忘れる事の許されない人物だ。孫文に梅屋庄吉が資金と支援を行った中心の日本人。資金提供は今の価値で1兆円を超える。広州、黄埔、南京、マカオに梅谷宗吉の銅像があるのになぜ日本には無い?白瀬矗の南極探検や辛亥革命の記録映画なども制作しており、十分に国に尽くした人物だろうに。長崎の壱岐(妻の故郷)には今も孫文の軍資金(埋蔵金)が隠されていると噂が残っている。
日本にいる華僑に尊敬する人物は誰ですか?という質問で高確率で出て来るのが孫文だって聞いた事がある。
コネクションを作る能力が異様に高い君主や司祭といった権力を持った者を含めても、世界史でもトップクラスかもしれない
毛沢東も劉邦も項羽もだけど中国史ってこんな風に謎に一つの能力にめちゃくちゃ突出してる異常者がよく出てくるから面白い
一介の医者がこれだけコネクションを作れるの確かにすごいよな
夢想妄想が大陸中華人の無限拡張欲(完全自己中心100%主義)の成立要素の全部です。毛沢東と習近平は、漢人の1つの典型と言えるでしょう。古代春秋戦国時代から、連綿続いています。宮刑.宦官.人肉色等etc世界一の野獣性に満ち溢れ…(^^)
@@らすく-l4u洪秀全もなかなかだよね、最後は失敗するけど
ちょっと孫文について記念館の話を致します🎵。🇯🇵国内で孫文記念館は神戸市内で明石大橋が良く見える場所に移築されています。その建物は大正時代に実業家だった華僑の館でした。後は世界中に孫文が滞在した土地に孫文記念館が何ヵ所か有り相互にインターネットで繋がっている様に神戸の孫文記念館を訪れた時に思いましたが…10年程前の事なので今はどうなっているかわかりません。神戸滞在中は清王朝の刺客に追われ大陸浪人に匿われ九州に隠れた事も有った様に造船所が神戸市内に寺を建立し九州地方から僧侶を招いていたので清の次の中国大陸の要人になるであろう孫文を匿う様に手配したと昔の大法輪の回想録に載っていたので孫文は何度も暗殺の危険を感じながら日本国内に隠れた時期が有ったのが不思議ですが大正時代華僑が日本国内で長者番付で10位ぐらいの貿易商で三角貿易をしていた様です。中国大陸から東南アジアや日本にいる華僑が孫文を何等かの援助をしていた様に思います。🇨🇳と🇺🇸の対立が終ったら又神戸の孫文記念館を訪れたいと思いますが何時になるかわかりません⁉️
待ってたよ
こうしてみると孫文という人は革命のためにとんでもない災厄をまき散らした人とも言えますね…
高校生くらいのころ、孫文の映画を見たことがあって、細かいところは覚えていけど、映画の中であまり身長が高くない孫文がそのことを指摘されて、「偉人必ずしも大ならず」と返したところが、私自身も身長が高くないのもあり妙に気に入ったことだけは20年以上たった今でも覚えていますね(笑)
孫文は多くの号や変名を持っていた。中国語圏では号の中山から「孫中山」、欧米では別の号である逸仙からSun Yat-senと呼ぶのが一般的。
東洋諸国で手を取り合って西洋文明に立ち向かうみたいな歴史になる可能性もあったのかな日本が中国やベトナムの独立運動に協力的だったら第一次大戦で日中関係が更にこじれなかったらあるいは孫文がもっと長生きしてたら
確かにアジア主義という理想は素晴らしいとは思うけど、理想と現実は大違いだからなぁ。大日本帝国が欧米列強と付き合っていくうえで、欧米が行っているアジアの植民地政策にNOとでも言ったら日本が踏みつぶされてしまう。だから明治から大正まで政府はアジア主義的な政策は一切取らなかった。当時の大日本帝国は当時の常識にのっとって行動しなければいけなかった。実際、大日本帝国は欧米と仲良くなっている時は何よりも平和だった。大日本帝国が昭和になって近衞文麿内閣から大東亜共栄圏!東亜新秩序!アジア人のアジア!アジア一致団結して西洋人を追い出すぞ!とアジア主義的な政策を打ち出した結果、皆が知る通り大日本帝国は崩壊した。ちなみに近衛文麿の父である近衛篤麿はアジア主義者の大物で、文麿は影響を受けていたと思われる。
それをするには文化・宗教・民族・人種・国家などの概念を一旦棚上げする必要がある。その意味でそれらを「上部構造」として切って捨てる唯物論やマルクス主義の受容が重要だった。そして、王政復古を支柱としながらアジアの大国に成り上がれた近代日本には、それは難しかった。
それを実現しようとしたときに最大の障害になるのは実は中国そのものなんですよね。アジアの各民族がそれぞれ独立を勝ち取ろうと思ったら、西洋列強だけを見ればいいというわけではなくなる。中国は必ず中華思想に基づいて中国が(というより漢民族が)アジアの中心になることを望む。そしてそれは漢民族以外のアジア各民族にとって、中国が西洋列強に成り代わることでしかなく、民族の独立は結果的に邪魔されることになってしまう。だから途中から必ず西洋列強VSアジアから西洋列強VS中国VSアジア諸民族という三つ巴の戦いにならざるを得なくなってくる。そうなると結局西洋列強が最強ですよ。中国が中華思想を捨てない限り成功するはずがない。でも、中華思想を捨てたら漢民族は漢民族ではなくなってしまう。
@@nuruosan4398 中華思想が障害という事は、南蛮や蝦夷など自分中心で外側を見下すような命名をしていた我が国は中華思想を捨てる事が出来たという事でしょうか…まあ京都が上方なんですけどね初見さん(京都最強思想)
@@パン-k9h 「大東亜共栄圏」は中華思想の日本版です。
清朝が滅びたのは明治45年になるんだ
カンフー映画の時代がこの軍閥時代を舞台にしていることが多かったので気になっていた この動画でよくわかった
このうp主のクオリティと更新間隔。うp主は一人だけではなく複数では?と勘ぐってしまう
台湾に行くと街路の名前に中山ってついたとこが市に一つぐらいあるなんで?ってきいたら孫文が日本に亡命中に中山子爵の名前気に入って中山さんて偽名使ってたからなんだって。
素晴らしく参考になる動画でした。しかし孫文が65位ですか。毛沢東や周恩来、鄧小平、はたまた蒋介石は出てくるのでしょうか、それともランク外でしょうか。(毛沢東は「しくじり」の方で出てきますが、よもやそれで終わり? あるいは建国の父としての業績を別途取り上げるのでしょうか。)あと、11:20 この絵を高解像度版で見たらピザ(?)に文字が書かれており、ドイツが切り取ろうとするのは膠州湾、日本とロシアの前には旅順(ポルト・アルトゥール)があるという形になっていて、ほうと思いました。
孫文は欧米や日本で勉強して、様々な民主国家を見てきたのに、結局はソ連と手を結び今の中国の基礎を作ってしまったとは···なんとも残念な結果だ
中国本土には、客家の集落である、「客家圓樓」という、建屋が存在した。 曾て、とあるアメリカの大統領が、ミサイルの発射口と誤認したという。
大隈重信もかなりグローバルな人間で、初めてムスリムと会談した日本の政治家だったりする
宋美齢といえば、元中日ドラゴンズ大豊泰昭が日本に渡航できるように便宜を図ってくれたというエピソードがありますね
洪秀全やってくださいお願いします
ある種今の国民党(台湾)の原型はここにあるんだって思いました。
袁世凱突然死んでて草
昨日、MASTERキートン観てた。そう・・・孫文の話。偶然すぐる。そして・・・青野武さんのご冥福をお祈りいたします。
非常にフットワークが軽くカリスマ性があり知力もかなりのものですが武力を持っていなかった、上から目線かも知れませんがそれが孫文の弱点で革命を成功させられなかった理由でしょうか。
地元のお寺が孫文ゆかりの地という碑があったな。
神戸の舞子公園に孫文ゆかりの建物である移情閣(現在の孫文記念館)がありますね。元々は孫文を支援していた華僑の貿易商呉錦堂の別荘にあった建物の一つだそうです。
若い頃の孫文、国分太一に似てるなって
国・共双方から讃えられており、世界史に影響を与えた人物には違いないのだろうし、一種の偉人には違いないが、革命英雄みたいな扱いはどうなんだろう。漢民族復権は強く目指していたが、自由な個人の尊重の為の革命とは随分違った「革命」だろうとは思う。汎人類的な理念により世界に影響を与えた「革命」ではなく、ああいう国体を結果として生んだのが世界に影響を与えたことになる、とでも言うべきか。「孫文にも強権的なところがあって」云々とさらりと仰っており、実際その通りなのだろうが、あの大陸国での「強権的」は我々日本人が考える「強権的」とはケタ2つか3つくらい違う。地方名望家→軍界(朝鮮利権)→大統領客家→医者→亡命辛苦との対比から、恰好のカタキ役の袁世凱との対比で悲劇の人みたいに扱われる事も多い孫文だが、講演録や口述の類を読む限りでは、漢民族中心思想に固まった理想家肌の反体制者、というのが一番しっくりくる感じではある。「理想家肌の反体制者」を「理想は権力の機会主義者」と言い替えれば袁世凱な感じで、漢民族復権以外の強い理念はあまりない点で、案外似た風味の二人だったのではないかと思う。広東軍事政権で「大元帥」となったのも、別にイヤイヤなったわけでもあるまい。これで段祺瑞打倒に成功していたら、案外「第二の袁世凱」か「蒋介石ゼロ号」にでもなっていたのではないか。浙江財閥と結びつつコミンテルンとも結ぶなんぞ、理念の感じられない行動だと思う。イメージ的に近いのが「菅直人」である。(権力好きなオポチュニスト、ピンクルな理想論、なりふり構わぬ現実手法、etc)圧制への反抗姿勢で「民主派のシンボル」として世界中から応援されていたスー・チー女史が、実際に民主化したら「法に対しても優先するものがある」とて自己の価値観(自己の利益とは敢えて言わぬ)からあんまり民主的でもない動きを色々していたのを、この孫文の動画見て思い出した。動画の内容と調べにはいつもなから敬意を表します。
歴史はぜんぜん勉強しなかったけど、台湾の国父記念館を見に行ってから見ると内容がよく分かる
孫文といえば魯迅を思い出すな
このチャンネルのUP主なら、孫文思想の本質を表す「革命三段階説(三政論)」に触れてほしかった・・・
ひさしぶりの人物ランキング孫文になるのか生まれたのは日本でいう慶応二年になるんだ!
色々と背負っていて、しがらみのあったことは分かるけど、この人が「満州は中国領か否か」について、コロコロと意見を変え、曖昧な態度のまま亡くなったことが、後の日中間の悲劇に繋がってる。
明治大帝や徳川家康や明治の元老は何位になるんだろう?
ランク外日本史じゃないし
うp主ここ最近攻めすぎなんよ
一国二主義制度の考え方の始まり見たいな気がしますね。鄧小平さんだけの考えだと、思っていました。
漢民族最後の皇帝は袁世凱だったんだな。ラストエンペラーは、セカンドラストエンペラーだった
孫文にもう少し権力があっって長生きだったら、中国も変わっただろう
宮崎滔天のおともだち東北大学とも関係あったような
魯迅と混同してない?
地味に毛沢東は青年時代に宮崎滔天の講演を長沙で聞いて政治に目覚めると同時に『日本に留学して勉強しよう!』と決意して日本の東京高等師範(法政大学という説もある)に留学しようとしています…でも日本には湖北料理の食える店が無い事を知って断念しているが…
手のひら返しをやった日本の外交の失敗かな、、、これは
今から見ればそう見えるかもしれないけどこの当時の孫文の評価なんて『ホラ吹き』『愚か者』だった上に中国にはれっきとした正当政府が存在したわけだから別に間違ったことはやっていない
清朝末期に現れたトリックスターボロボロの清朝を引っ搔き回し、それ以上の存在にはなれなかったけど
辛亥革命、宋教仁や孫文の友人である新垣弓太郎も参加してて一時期蒋介石が彼の部下としていたとか
北京オリンピック記念?
客家は、ユダヤ人ですよね!
孫文ってハワイ追い出されて香港で改宗したんじゃないの?
ハワイで改宗したところ父親代わりの兄貴にキレられてハワイ追い出されて実家帰ったけど家出して香港に渡ってハワイに舞い戻ったはずですよ確か。
優秀だなあ傑物だなあ日本悪役だなあお、いいかんじじゃん、このままいけば、あれ?あれ?そっちはまずいよ!。。。あー
大雑把にいうと有能な吉田松陰。
BGM大きすぎてゆっくり聞こえにくい・・
孫文て日本じゃ弘文って言うんだよ、宮崎くんは飛鳥の親族だし秋月の人間だよ孫文は金の頓着が無い人間で私欲が薄いからね、習は孫文の弟子周に近しい人間だよ
「なんと孫文」って・・・誰か知ってる(´・ω・`)?
革命いまだ成らず、か…
情け、ないか・・・
ーコメ
浙江財閥 青幣 TSMC
任度数客家可馬臂自力北極拠
ちなみに孫文と南方熊楠の友情はかなり深い仲だった様で金欠状態で和歌山から出られない熊楠のためにわざわざ和歌山まで会いに行ったり…
熊楠の著書や論文を世界中の著名人や学者に配ったり…
外遊先で自ら珍しい植物や粘菌を採取して標本にして熊楠にプレゼントしたり…
極めつけが革命成功後は熊楠のために広州に世界一の規模の動植物園と研究施設と博物館を建設しようと本気で計画しているレベルだったとのこと…
このタイミングで孫文を解説するとは、UP主さんもやるなぁ
清朝が孫文に手出しできなかったホントの理由はロンドンでの一件に懲りた孫文がアメリカ国籍を取得してアメリカ人になっていたからというのがホントの事情だったらしい…
だからほかの活動家たちが常に身の危険にさらされていたのに孫文だけはいつも安全で極論を言えば堂々と帰国して国内で活動してもアメリカ人である孫文に清朝政府は指一本手出しが出来ない状態だったそうです。
でもこのことが革命派内での対立の原因にもなっていたそうですが。
実に素晴らしい動画
袁世凱が皇帝になった経緯が漸く理解できた
孫文の粘り強さは見習いたいものだ
この時代の話は詳しくは浅田次郎さん著の「中原の虹」、「天子蒙塵」に描かれていますので個人的にも一読をオススメ致します🙂
孫文の傷の大なるは、共産革命と易姓革命を同じ「革命」と一括りにし、中国史の易姓革命と同じようなものなので扱いきれると高を括って国共合作を受け入れてしまったことにある。
いくらキリスト教に改宗しようと、最新の学問や思想に触れ、民主共和制を目指そうとも、結局は孫文も根底にあったのは中華思想なんだよね。
@@nuruosan4398
全く同感。
以前住んでいた団地に隣接する公園に、「孫文先生上陸の地」の石碑があった。
孫文先生とはどんな人なのか、解らないままでいたが、やっと少し分かった気がする。
大河ドラマ「青天を衝け」でも、
孫文がチョイ役で出てました。
渋沢栄一と交流があったようです。
世界史なのだろうか、日本と孫文の関係がさらりと流されているのは悲しい事だ。特に孫文の名前を知っていても実業家 梅屋庄吉の名前が一言も出ないのは可哀そうな事だ。外国人の私でも名前を忘れたことは無い。歳を取って名前が出なくなった人物はいるが、忘れる事の許されない人物だ。孫文に梅屋庄吉が資金と支援を行った中心の日本人。資金提供は今の価値で1兆円を超える。広州、黄埔、南京、マカオに梅谷宗吉の銅像があるのになぜ日本には無い?白瀬矗の南極探検や辛亥革命の記録映画なども制作しており、十分に国に尽くした人物だろうに。長崎の壱岐(妻の故郷)には今も孫文の軍資金(埋蔵金)が隠されていると噂が残っている。
日本にいる華僑に尊敬する人物は誰ですか?という質問で高確率で出て来るのが孫文だって聞いた事がある。
コネクションを作る能力が異様に高い
君主や司祭といった権力を持った者を含めても、世界史でもトップクラスかもしれない
毛沢東も劉邦も項羽もだけど中国史ってこんな風に謎に一つの能力にめちゃくちゃ突出してる異常者がよく出てくるから面白い
一介の医者がこれだけコネクションを作れるの確かにすごいよな
夢想妄想が大陸中華人の無限拡張欲(完全自己中心100%主義)の成立要素の全部です。毛沢東と習近平は、漢人の1つの典型と言えるでしょう。古代春秋戦国時代から、連綿続いています。宮刑.宦官.人肉色等etc世界一の野獣性に満ち溢れ…(^^)
@@らすく-l4u洪秀全もなかなかだよね、最後は失敗するけど
ちょっと孫文について記念館の話を致します🎵。
🇯🇵国内で孫文記念館は神戸市内で明石大橋が良く見える場所に移築されています。
その建物は大正時代に実業家だった華僑の館でした。
後は世界中に孫文が滞在した土地に孫文記念館が何ヵ所か有り相互にインターネットで繋がっている様に神戸の孫文記念館を訪れた時に思いましたが…10年程前の事なので今はどうなっているかわかりません。
神戸滞在中は清王朝の刺客に追われ大陸浪人に匿われ九州に隠れた事も有った様に造船所が神戸市内に寺を建立し九州地方から僧侶を招いていたので清の次の中国大陸の要人になるであろう孫文を匿う様に手配したと昔の大法輪の回想録に載っていたので孫文は何度も暗殺の危険を感じながら日本国内に隠れた時期が有ったのが不思議ですが大正時代華僑が日本国内で長者番付で10位ぐらいの貿易商で三角貿易をしていた様です。
中国大陸から東南アジアや日本にいる華僑が孫文を何等かの援助をしていた様に思います。
🇨🇳と🇺🇸の対立が終ったら又神戸の孫文記念館を訪れたいと思いますが何時になるかわかりません⁉️
待ってたよ
こうしてみると孫文という人は革命のためにとんでもない災厄をまき散らした人とも言えますね…
高校生くらいのころ、孫文の映画を見たことがあって、細かいところは覚えていけど、映画の中であまり身長が高くない孫文がそのことを指摘されて、「偉人必ずしも大ならず」と返したところが、私自身も身長が高くないのもあり妙に気に入ったことだけは20年以上たった今でも覚えていますね(笑)
孫文は多くの号や変名を持っていた。中国語圏では号の中山から「孫中山」、欧米では別の号である逸仙からSun Yat-senと呼ぶのが一般的。
東洋諸国で手を取り合って西洋文明に立ち向かうみたいな歴史になる可能性もあったのかな
日本が中国やベトナムの独立運動に協力的だったら
第一次大戦で日中関係が更にこじれなかったら
あるいは孫文がもっと長生きしてたら
確かにアジア主義という理想は素晴らしいとは思うけど、理想と現実は大違いだからなぁ。
大日本帝国が欧米列強と付き合っていくうえで、欧米が行っているアジアの植民地政策にNOとでも言ったら日本が踏みつぶされてしまう。だから明治から大正まで政府はアジア主義的な政策は一切取らなかった。
当時の大日本帝国は当時の常識にのっとって行動しなければいけなかった。
実際、大日本帝国は欧米と仲良くなっている時は何よりも平和だった。
大日本帝国が昭和になって近衞文麿内閣から大東亜共栄圏!東亜新秩序!アジア人のアジア!アジア一致団結して西洋人を追い出すぞ!とアジア主義的な政策を打ち出した結果、皆が知る通り大日本帝国は崩壊した。
ちなみに近衛文麿の父である近衛篤麿はアジア主義者の大物で、文麿は影響を受けていたと思われる。
それをするには文化・宗教・民族・人種・国家などの概念を一旦棚上げする必要がある。その意味でそれらを「上部構造」として切って捨てる唯物論やマルクス主義の受容が重要だった。
そして、王政復古を支柱としながらアジアの大国に成り上がれた近代日本には、それは難しかった。
それを実現しようとしたときに最大の障害になるのは実は中国そのものなんですよね。
アジアの各民族がそれぞれ独立を勝ち取ろうと思ったら、西洋列強だけを見ればいいというわけではなくなる。
中国は必ず中華思想に基づいて中国が(というより漢民族が)アジアの中心になることを望む。そしてそれは漢民族以外のアジア各民族にとって、中国が西洋列強に成り代わることでしかなく、民族の独立は結果的に邪魔されることになってしまう。
だから途中から必ず西洋列強VSアジアから西洋列強VS中国VSアジア諸民族という三つ巴の戦いにならざるを得なくなってくる。そうなると結局西洋列強が最強ですよ。
中国が中華思想を捨てない限り成功するはずがない。でも、中華思想を捨てたら漢民族は漢民族ではなくなってしまう。
@@nuruosan4398 中華思想が障害という事は、南蛮や蝦夷など自分中心で外側を見下すような命名をしていた我が国は中華思想を捨てる事が出来たという事でしょうか…
まあ京都が上方なんですけどね初見さん(京都最強思想)
@@パン-k9h 「大東亜共栄圏」は中華思想の日本版です。
清朝が滅びたのは明治45年になるんだ
カンフー映画の時代がこの軍閥時代を舞台にしていることが多かったので気になっていた この動画でよくわかった
このうp主のクオリティと更新間隔。うp主は一人だけではなく複数では?と勘ぐってしまう
台湾に行くと街路の名前に中山ってついたとこが市に一つぐらいあるなんで?ってきいたら孫文が日本に亡命中に中山子爵の名前気に入って中山さんて偽名使ってたからなんだって。
素晴らしく参考になる動画でした。しかし孫文が65位ですか。毛沢東や周恩来、鄧小平、はたまた蒋介石は出てくるのでしょうか、それともランク外でしょうか。
(毛沢東は「しくじり」の方で出てきますが、よもやそれで終わり? あるいは建国の父としての業績を別途取り上げるのでしょうか。)
あと、11:20 この絵を高解像度版で見たらピザ(?)に文字が書かれており、ドイツが切り取ろうとするのは膠州湾、日本とロシアの前には旅順(ポルト・アルトゥール)があるという形になっていて、ほうと思いました。
孫文は欧米や日本で勉強して、様々な民主国家を見てきたのに、結局はソ連と手を結び今の中国の基礎を作ってしまったとは···なんとも残念な結果だ
中国本土には、客家の集落である、「客家圓樓」という、建屋が存在した。 曾て、とあるアメリカの大統領が、ミサイルの発射口と誤認したという。
大隈重信もかなりグローバルな人間で、初めてムスリムと会談した日本の政治家だったりする
宋美齢といえば、元中日ドラゴンズ大豊泰昭が日本に渡航できるように便宜を図ってくれたというエピソードがありますね
洪秀全やってくださいお願いします
ある種今の国民党(台湾)の原型はここにあるんだって思いました。
袁世凱突然死んでて草
昨日、MASTERキートン観てた。そう・・・孫文の話。偶然すぐる。
そして・・・青野武さんのご冥福をお祈りいたします。
非常にフットワークが軽くカリスマ性があり知力もかなりのものですが武力を持っていなかった、上から目線かも知れませんがそれが孫文の弱点で革命を成功させられなかった理由でしょうか。
地元のお寺が孫文ゆかりの地という碑があったな。
神戸の舞子公園に孫文ゆかりの建物である移情閣(現在の孫文記念館)がありますね。元々は孫文を支援していた華僑の貿易商呉錦堂の別荘にあった建物の一つだそうです。
若い頃の孫文、国分太一に似てるなって
国・共双方から讃えられており、世界史に影響を与えた人物には違いないのだろうし、一種の偉人には違いないが、革命英雄みたいな扱いはどうなんだろう。
漢民族復権は強く目指していたが、自由な個人の尊重の為の革命とは随分違った「革命」だろうとは思う。
汎人類的な理念により世界に影響を与えた「革命」ではなく、ああいう国体を結果として生んだのが世界に影響を与えたことになる、とでも言うべきか。
「孫文にも強権的なところがあって」云々とさらりと仰っており、実際その通りなのだろうが、あの大陸国での「強権的」は我々日本人が考える「強権的」とはケタ2つか3つくらい違う。
地方名望家→軍界(朝鮮利権)→大統領
客家→医者→亡命辛苦
との対比から、恰好のカタキ役の袁世凱との対比で悲劇の人みたいに扱われる事も多い孫文だが、講演録や口述の類を読む限りでは、漢民族中心思想に固まった理想家肌の反体制者、というのが一番しっくりくる感じではある。
「理想家肌の反体制者」を「理想は権力の機会主義者」と言い替えれば袁世凱な感じで、漢民族復権以外の強い理念はあまりない点で、案外似た風味の二人だったのではないかと思う。
広東軍事政権で「大元帥」となったのも、別にイヤイヤなったわけでもあるまい。
これで段祺瑞打倒に成功していたら、案外「第二の袁世凱」か「蒋介石ゼロ号」にでもなっていたのではないか。
浙江財閥と結びつつコミンテルンとも結ぶなんぞ、理念の感じられない行動だと思う。
イメージ的に近いのが「菅直人」である。
(権力好きなオポチュニスト、ピンクルな理想論、なりふり構わぬ現実手法、etc)
圧制への反抗姿勢で「民主派のシンボル」として世界中から応援されていたスー・チー女史が、実際に民主化したら
「法に対しても優先するものがある」
とて自己の価値観(自己の利益とは敢えて言わぬ)からあんまり民主的でもない動きを色々していたのを、この孫文の動画見て思い出した。
動画の内容と調べにはいつもなから敬意を表します。
歴史はぜんぜん勉強しなかったけど、台湾の国父記念館を見に行ってから見ると内容がよく分かる
孫文といえば魯迅を思い出すな
このチャンネルのUP主なら、孫文思想の本質を表す「革命三段階説(三政論)」に触れてほしかった・・・
ひさしぶりの人物ランキング孫文になるのか
生まれたのは日本でいう慶応二年になるんだ!
色々と背負っていて、しがらみのあったことは分かるけど、この人が
「満州は中国領か否か」
について、コロコロと意見を変え、曖昧な態度のまま亡くなったことが、後の日中間の悲劇に繋がってる。
明治大帝や徳川家康や明治の元老は何位になるんだろう?
ランク外
日本史じゃないし
うp主ここ最近攻めすぎなんよ
一国二主義制度の考え方の始まり見たいな気がしますね。鄧小平さんだけの考えだと、思っていました。
漢民族最後の皇帝は袁世凱だったんだな。
ラストエンペラーは、セカンドラストエンペラーだった
孫文にもう少し権力があっって長生きだったら、中国も変わっただろう
宮崎滔天のおともだち
東北大学とも関係あったような
魯迅と混同してない?
地味に毛沢東は青年時代に宮崎滔天の講演を長沙で聞いて政治に目覚めると同時に
『日本に留学して勉強しよう!』
と決意して日本の東京高等師範(法政大学という説もある)に留学しようとしています…でも日本には湖北料理の食える店が無い事を知って断念しているが…
手のひら返しをやった日本の外交の失敗かな、、、これは
今から見ればそう見えるかもしれないけどこの当時の孫文の評価なんて
『ホラ吹き』『愚か者』だった上に中国にはれっきとした正当政府が存在したわけだから別に間違ったことはやっていない
清朝末期に現れたトリックスター
ボロボロの清朝を引っ搔き回し、それ以上の存在にはなれなかったけど
辛亥革命、宋教仁や孫文の友人である新垣弓太郎も参加してて一時期蒋介石が彼の部下としていたとか
北京オリンピック記念?
客家は、ユダヤ人ですよね!
孫文ってハワイ追い出されて香港で改宗したんじゃないの?
ハワイで改宗したところ父親代わりの兄貴にキレられてハワイ追い出されて実家帰ったけど家出して香港に渡ってハワイに舞い戻ったはずですよ確か。
優秀だなあ傑物だなあ日本悪役だなあ
お、いいかんじじゃん、このままいけば、あれ?あれ?そっちはまずいよ!。。。あー
大雑把にいうと有能な吉田松陰。
BGM大きすぎてゆっくり聞こえにくい・・
孫文て日本じゃ弘文って言うんだよ、宮崎くんは飛鳥の親族だし秋月の人間だよ
孫文は金の頓着が無い人間で私欲が薄いからね、習は孫文の弟子周に近しい人間だよ
「なんと孫文」って・・・誰か知ってる(´・ω・`)?
革命いまだ成らず、か…
情け、ないか・・・
ーコメ
浙江財閥 青幣 TSMC
任度数客家可馬臂自力北極拠